「長崎の鐘」に見る自己犠牲の真骨頂

全景_6027web天一国2年天暦閏9月28日(陽暦11月20日)、新宿教会に浅川勇男先生をお迎えして、自叙伝書写感謝の集いが開催されました。オープニングでは婦人聖歌隊が、紅葉の季節にちなんで「里の秋」を参加者とともに歌いました。

今回、証しに立った婦人は、病気がちだった姑に書写を勧めたところ、毎日しっかり書写実践を続けるうちに心身ともに元気になった体験談を披露しました。この家庭では、祖父母・父母・子女の三代で書写を実践しており、10月には姑夫妻が既成祝福も受けて、三代圏の祝福家庭を築きました。

この日、長崎から新宿教会に駆け付けた浅川先生は、「長崎の鐘」の主人公である永井隆医師の生涯を紹介しました。島根県から長崎医科大学に進んだ永井医師は、勉学に適した静かな環境を求めて、大浦天主堂近くに下宿。クリスチャンだった大家さんに導かれて、自らも洗礼を受けました。
永井医師はトップの成績であったにもかかわらず、卒業式の2日前に雨に打たれて急性中耳炎となり、念願の内科医の道を閉ざされ、放射線医師になります。戦時下で医師が足りない中、無理を続けた永井医師は規定を超える放射線を浴び、気が付けば余命5年の状態になっていました。
それでも骨身を削って診療を続けていたとき、大浦天主堂の真上で炸裂した原爆により被爆します。彼の妻を含め、多くの人々が犠牲になる中で、永井医師は昼夜を分かたず被爆者たちの治療に投入しました。

神に帰依していた永井医師は、このように大変な環境のすべてを感謝の心で前向きに受け止め、世のため人のため、黙々と自己犠牲の道を貫きました。晩年は寝たきりの生活になってしまいますが、永井医師の放射線研究・治療の業績はあまりにも偉大で、昭和天皇やヘレン・ケラーも病床を訪れたほどです。

浅川先生の語り口があまりにも真に迫って感動的で、参加者たちは時の過ぎるのも忘れて話に聞き入っていました。あらゆる否定の環境をすべてプラスにとらえ、感謝と自己犠牲を貫いた永井医師の人生に、参加者たちは圧倒されながら、自らの信仰生活を振り返って悔い改めている様子でした。

 

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